三上紗也可(飛び込み)の経歴は?コーチや家族構成についても調査!

スポーツ

三上紗也可選手は飛び込み競技の日本代表選手です。

世界選手権で日本人最高の5位入賞など輝かしい経歴の持ち主。

女子飛び込みでは、2人目の代表入りで東京オリンピックの出場枠を獲得しました。

過去には大怪我を経験し、一時は引退も考えるほどだったそうですが、コーチと共に乗り越えて今も成長し続けています。

この記事では、飛び込みの三上紗也可選手の経歴やコーチについてと、両親や兄弟など家族構成についてまとめました。

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三上紗也可の経歴は?

三上紗也可選手は、小学校2年生の時から飛び込みを始めています。

きっかけは、学校で配られた「飛び込み教室」の案内だったそうですよ。

飛び込みってすごく勇気がいる競技だと思うのですが、子供のころからやっていれば恐怖心も少なく始められるのでしょうか。

簡単そうに見えるけど、手足などをきれいに見せたり、着水した時の水しぶきが少ないようにとか結構色々あるんですよね。

見るポイントが分かる選手のスゴさを感じるスポーツだと思います。

三上紗也可選手が長年指導を受けているのは安田コーチです。

出会いは小学校4年生の時だそう。

中学時代は、怪我によって思うように競技ができなかったことも。

その怪我というのは腰椎分離症。

腰椎分離症は、成長期のスポーツ選手によくみられる怪我で、原因は疲労骨折が考えられるそうです。

腰ってどのスポーツやるにもとても重要な部分だと思うので、かなり大変だったのではないでしょうか。

その後、米子南高校へ進学します。

1年生の時には高校総体優勝!

怪我を乗り越えての全国優勝は素晴らしいですね。

とてつもない努力をされたのだと思います。

高校卒業後は大学進学も考えたそうですが、安田コーチの勧めで進学はしないという道を選んだそうです。

安田コーチのもとで飛び込みに打ち込むという覚悟をしたんですね。

高校生の時点で自分の将来の覚悟をすることってなかなかできることではないと思います。

三上紗也可選手が飛び込みにかける想いが強かったのと、コーチや周りの支えなどが大きかったのではないでしょうか。

高校卒業後の2019年7月には、初の世界選手権代表として光州世界選手権に出場します。

3m板飛び込みで5位入賞という快挙を成し遂げ、東京オリンピック内定を勝ち取りました。

そして、2020年4月。高校卒業から1年後に日本体育大学に進学しました。

オリンピックを目指す練習環境を整えるなど将来のことを考えての決断だそうです。

日本体育大学体育学部体育学科は、伝統校であり飛び込みの女子部員が多く、スポーツ科学を学びたいという気持ちもあってのこと。

今後の活躍が楽しみですね!

三上紗也可のプロフィール

三上紗也可選手のプロフィールはこちら。

  • 名前 三上紗也可(みかみ さやか)
  • 生年月日 2000年12月8日
  • 年齢 2020年10月現在19歳
  • 出身地 鳥取県米子市
  • 身長 155㎝
  • 体重 53㎏
  • 所属 米子ダイビングスクールクラブ

飛び込み競技の成績は?

三上紗也可選手の飛び込み競技の成績をまとめました。

  • 2014年 世界ジュニア選手権ロシア大会 8位
  • 2015年 ユース大会 2種目 優勝
  • 2016年 高校総体 優勝
  • 2017年 3mシンクロ板飛び込み 日本選手権優勝(宮本葉月選手と組む)
  • 2018年 3m板飛び込み 日本選手権優勝
  • 2018年 3m板飛び込み アジア大会(ジャカルタ)4位
  • 2018年 3mシンクロ板飛び込み アジア大会(ジャカルタ)5位(宮本葉月選手と組む)
  • 2019年 3m板飛び込み 光州世界選手権5位(東京オリンピック内定)  
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三上紗也可の大怪我とは?

実は、三上紗也可選手は数々の怪我に悩まされてきました。

中学生の時は、腰椎分離症。

高校生の時は頭をぶつける大怪我で選手生命の危機もあったそうです。

その都度、怪我から立ち直り活躍する三上紗也可選手の姿は本当にすごいですね。

競技中に大怪我!記憶障害や後遺症はある?

高校2年生の時には、高知市で行われた大会で高難度の技をした際、後頭部を飛び板にぶつけるというアクシデントがあったそうです。

病院で17針も縫う大怪我でした。

意識などはしっかりしていて、受け答えはしっかりしていたようですが、同じことを何度も聞くという症状がりありました。

安田コーチが病院へ連れていき、治療を終えて帰ろうとすると三上紗也可選手は「私、今日、何してましたっけ?」という質問をしたそうです。

そして5分後には同じ質問を3回ほど繰り返したと言います。

異変に気が付いた安田コーチは、再び病院へ。

再診察を受けると「健忘症」との診断で1日入院することになりました。

入院中も「なぜ寝ているんですか?」という質問を3回繰り返しました。

この時、安田コーチは責任を感じ「これ以上指導する自信がない」と悩んだそう。

ですが、三上紗也可選手は頭を強打した瞬間の記憶が残っておらず、競技への恐怖心はなかったんですって。

そのため、怪我を恐れることなく逆に意欲に満ちあふれていたんだとか。

「安田先生に心配をかけて申し訳ない気持ちだった。夢の途中であきらめるわけにはいかない」と1週間ほどでプールに戻ってきたそうです。

幸い、後遺症などは残らず競技に集中できているとのこと。

ここまでの大きな怪我だったら、競技が怖くなってしまってもおかしくないと思います。

不幸中の幸いで、怪我をした時の記憶が残っていなかったというのが良かったのかもしれません。

神様から競技を続けるようにと言われているようにも感じますよね。

その姿を見た安田コーチは再び三上紗也可選手の指導をすることに。

お互いを思いやる2人の絆も素敵ですね。

さらなる転機が訪れる

高飛び込みと板飛び込みの両方の競技を続けてきた三上紗也可選手。

高飛び込みは、高さ10mの飛び込み台から飛び込む競技。

板飛び込みは、弾力性のある高さ3mの飛び込み板から跳ね上がって飛び込む競技です。

三上紗也可選手は、高校3年生の春、高飛び込みの試合で左ひじの靱帯を痛めてしまったのです。

この時、安田コーチは「神様からのお告げだと思った」と、三上紗也可選手の競技を「板飛び込み」に専念させることを決めました。

高飛び込みは、バランスを崩せば入水時の水圧で体への大きな負担がかかるそうです。

怪我の多い三上紗也可選手の将来を考えての決断だったそう。

競技を絞ったことで、三上紗也可選手の板飛び込みはますます成長していったのです。

怪我から3か月後に行われたアジア大会(ジャカルタ)で4位入賞。

その後も快進撃を続け、見事に東京オリンピックの切符を手に入れました。

決して平たんな競技人生とは言えませんが、その時々の決断や努力などが今の三上紗也可選手の力になっていることは間違いないのではないでしょうか。

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三上紗也可が大学進学しなかったのはなぜ?

三上紗也可選手は2020年現在大学1年生で日本体育大学に進学しています。

ですが、高校卒業後すぐではなく、1年浪人しているのです。

浪人した理由は、先程もあったように安田コーチのもとで飛び込み競技に専念するため!

三上紗也可選手は、高校2年生の時に進路に悩んだそうです。

その時、安田コーチから

「三上は器用じゃない。圧倒的な力はない。退路を断って何かを捨てなきゃいけない」

と進学しないという選択を提案されたそうです。

三上紗也可選手は、高校1年生の時に全国優勝するなどかなりの実力があったことは明らかです。

もしかしたら、どこかの大学から推薦の話などがあったのかもしれません。

ですが、安田コーチも高校教員を辞めて指導してくれるという姿に飛び込み競技に専念するという覚悟ができたのではないでしょうか。

そして、その選択は間違ってはいなかったと思います。

怪我などで何度も挫折を味わいながらも東京オリンピックへの出場権を獲得するというのは簡単ではないですよね。

三上紗也可選手と安田コーチが二人三脚で努力してきた結果が成績となって表れているのが本当に素晴らしい!

さらに、たくさんの苦労を乗り越えてきた信頼関係があるのだと思います。

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三上紗也可は東京オリンピック日本代表選手!

たくさんの苦労を重ねてきた結果、三上紗也可選手は東京オリンピックの出場枠を獲得しています。

2019年に行われた光州世界選手権では、女子3m板飛び込みに出場。

決勝ではノーミスの演技で5本とも60点台。

323.05点をたたき出し見事に5位入賞を果たしたのです。

5位入賞は日本人女子選手として快挙なんだそうですよ。

この時の演技について、三上紗也可選手は「飛び込み人生の中で最高の試合だった」と語っています。

さらに、前後の演技では「ゾーンに入っていた。ほとんど記憶がない」とも言っています。

三上紗也可選手は、初出場とは思えないくらい落ち着いていたんだとか。

練習の時から調子のいい時は自分の世界に入っているとのことで、

頭の中で音楽が流れると自分のリズムで演技することができ最高のパフォーマンスになるそうですよ。

世界選手権でも、演技の順番を待っている時に歌を口ずさんでいたそうで、自分のペースを保てていたようです。

安田コーチは、想像以上の出来栄えにとても喜んでいたんだとか。

「本気でメダルを狙えるように歩んで行ってもいいのかな」と新たな目標を語っていました。

東京オリンピックでも落ち着いた演技でメダル獲得を期待したいですね!

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三上紗也可を指導するコーチは誰?

三上紗也可選手がを小学校4年生の時から指導しているのは、安田千万樹(ちまき)コーチ

安田コーチ自身も飛び込みの選手で、国際大会でメダル獲得の経験があるそうです。

1996年に行われたアトランタオリンピックの選考会では、男子3m板飛び込みを制しました。

ところが、オリンピック出場枠は獲得できなかったのです。

当時、日本代表選手の枠は男女で計3枠。

日本水泳連盟が設けた派遣基準の突破率で他の種目の選手に及びませんでした。

僅差の4番手という結果で、惜しくもオリンピック出場とはならなかったのです。

翌年の国体を最後に引退した安田コーチは故郷の鳥取県米子市に戻りました。

高校の体育教師をしながら自身も育ったという米子ダイビングスクールクラブで指導を始めたそうです。

そこで出会ったのが三上紗也可選手。

安田コーチは三上紗也可選手の第一印象を「不器用でまるで暴れ馬のようだった」と語っています。

ですが、三上紗也可選手の素質を見込み、これまで一緒に歩んできたのです。

安田コーチご自身が果たせなかった夢である「オリンピック出場」を目指すうちに、それが三上紗也可選手の目標となっていきました。

そして、三上紗也可選手は東京オリンピック出場内定!!

三上紗也可選手が怪我などで辛い時期をすべて知っていることも含めて、本当に嬉しかったのではないでしょうか。

東京オリンピックではメダル獲得して2人で喜んでいる姿が見たいですね。

米子ダイビングクラブとは?

米子ダイビングクラブは、鳥取県米子市東山にある鳥取県営東山水泳場で活動しています。

活動歴は30年以上で、飛び込み競技の名門クラブとして知られています。

コーチは三上紗也可選手の指導をしている安田千万樹コーチの他に安永三郎さん、本基一郎・幸太郎兄弟がいらっしゃいます。

鳥取県からの支援も充実しているそうで、飛び込み競技に集中できる環境が整っているそうですよ。

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三上紗也可の両親や兄弟など家族構成について

三上紗也可選手の両親や兄弟などについての情報はありませんでした。

ですが、三上紗也可選手が競技中に頭をぶつける大怪我をした時「これ以上指導する自信がない」という安田コーチに向かって

三上紗也可選手のご両親は「お願いします」と頭を下げたそうです。

もしも自分の子供が同じ状況だったら・・・

と考えると、とてもじゃないけど競技を続けろとは言えない気がします。

頭をぶつける怪我となると命に係わることだってあり得ると思うのでとても心配ですよね。

ですが、ご両親は自分たちの気持ちより、三上紗也可選手の気持ちなどを理解しての行動だと思います。

このようなご両親がいるからこそ、三上紗也可選手も競技に向き合えるのではないでしょうか。

とても素敵な親子関係だなと思います。

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三上紗也可の彼氏は?結婚してる?

三上紗也可選手の彼氏や結婚などについて調べてみましたが、情報はありませんでした。

まだ現役選手ですし年齢も19歳ということで結婚について考えるのはまだ早いかもしれませんね。

お年頃なので彼氏がいてもおかしくない年齢だとは思います。

もしかしたらしっかり支えてくれるステキな彼氏がいるのかも♡

どちらにしろ、オリンピックに出場するほどの選手となれば練習もかなりハードなはず・・・

今は競技に専念しているのかもしれませんね。

 

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